命がけ

フト思いついたことがある.実は私はなぜかヴァイオリンの音が好きで、LPと言わずCDと言わず、かなりのものを集めてきた.もちっろん、全部聴いたとは言わない.しかし、最近になって不思議なことに気が付いたのです.
例えば、男性ではティボーシゲティエネスコメニューイン・・・など、女性ではヌヴーデ・ヴィートイダ・ヘンデルボべスコなど・・・、古くは1930年代にまでさかのぼる.一方、再生する方も蓄音機の時代からカセットなど、そして真空管のアンプとなると、若い諸君は見たこともないだろう.そしてデジタル化も進んで、CD、さらに最近では 「ハイレゾ」 なども登場している.もう「グルグル回るものから音が出る」という時代ではなくなってしまったのだ.それは君たちにとってはもう日常だ.
そんな中で、「ハイレゾ」は音がいいですねえ」なんて言われても困ってしまう.
なにせ目の前の若者はその前の時代にどうであったか全く知らないのだから.
それは「良いとか悪い」ではない.「好きとか嫌い」ともちがう.ハッキリ言ってその根底となっている文化というか、生活というか、人々とそれを取り巻く環境そのものが 「 総ぐるみ」 ちがうのだと思う.
たまたま音楽のハナシから始めたが、昔はココロを満たしてくれる「情報の量」そのものが少なかったから、それを求めて聴く人も高いチケットにめげず、それなりに「本気」であった.そして、演奏その他についても批評も厳しかった.
そして、音楽をヤル人はいまのように撮り直しや編集などはできないから、当然すべてが1パツ勝負である.しかも1曲の録音にも大勢の人が動き、カネも動くから、おそらく 「命がけ」 であったであろう.「命がけ」などと言うといかにもヤボッたいが、当時は戦争もあり、洋の東西を問わず「武士道の精神」なども残っていて、まあ、そんな時代でもあったのでしょう.少なくとも「気合」が入っていることは確かです.
だから現在にまで残っている演奏が、たとえスクラッチノイズに埋もれていたとしても、それなりの説得力を持つのは当然のことなのです.
私としては「ハイレゾ」も結構だが、この当時のそのままの演奏を再現する仕組みを開発してもらいたいと思うがいかがなものだろうか.

最近、電車に乗れば皆イッセイにスマホアイホンをとり出しピコピコとやっている.歩きながらもやっている.この私でさえ異様に見えるが私の親の世代、明治の人が見たら何とも不思議な光景であろう.
私が「わが身1つ」を頼りに東京に出て来たころ、新宿の「小田急デパート」の屋上から西の方を見ると、遠くに「京王プラザホテル」が羊羹を寝かしたようにポツンと見えた.このころデパートの開店は朝10:00、閉店は夕方の6:00で、週に1度は休みだった.そしてふつうの家庭では夕食は家族がみんなで食べたはずだ.これはマンガの「サザエさん」の世界を思ってもらえばよかろう.
まあ、文化がちがうといえばそれまでだが、何だか忙し過ぎませんか.疲れませんかね.
私の経験によれば何かを見ながら他のことに想像をめぐらしたり考え事をすることはできないと思う.ボーっとしているか、目をつぶるかしないと想像力は膨らまないような気がします.これを、「目と手が忙しいときはアタマがお留守」、あるいは「考え事をしているからクルマが歩道に飛び込んだ」などと言い換えるのはマズイ?
教室で「セブンイレブンの名前の由来は?」と聞いてみたらキョトンとしていたっけ.
これは「朝の7時から夜の11時まで営業します」という、当時としては画期的なことだったのです.それが今や「24時間営業」が当たり前になってしまった.あちこちに自動販売機もあり、確かに便利ではある.

 

 

(工事中)

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