ミャンマー

先日テレビを見ていたら、日本人の高齢化に伴いその介護士としてミャンマーの若い女性を招聘する特集をやっていた.
彼女たちは熱心に目を輝かせて日本語を勉強し、日本の文化を学び、お年寄りの役に立てることを喜んでいるように見える.
そして、面接の様子が映し出されたが、このとき彼女たちのほとんどが、「お年寄りの役に立つことは功徳 (くどく) を重ねることなのでとてもうれしい」と答えていた.
このとき、解説の声が「ここが日本の文化とちがうので困るのです」というような意味もことを言ったように聞こえた.
「えっ?」と思ったのは私だけだったろうか.というのは、私が子どものころは爺さんや婆さんたちはよくそんなことを言っていたような気がして、なんだかとても懐かしかったのです.
私は日本の仏教についてはよくわかりません.
日本では明治に廃仏毀釈ということが起こり、国策で多くのお寺が神社に変更させられ、戦時中はお寺の鐘楼の鐘さえ武器・弾薬のために供出させられました.
そして、戦後の農地改革でお寺の田んぼなどはみんな小作人のところに行ってしまいました.だから田舎のお寺は財産もなく貧乏です.ついでに檀家も貧乏です.
私も田舎の菩提寺はボロボロ、住職も亡くなり跡継ぎもなく無人のお寺になってしまいました.だから、お葬式にはどこか別のお寺からお坊さんを調達してこなくてはなりません.そういう意味では日本の仏教はハタンしたのでしょう.
でも、お盆お彼岸にはお墓参りに行きます.何かの事情で行けないとなんとなく「すみません」というキモチになったりもします
あとで、この番組のコメントの真意を考えてみましたが、いまだによくわかりません.カトリックのおばあさんをどうするかとか、イスラムのおじいさんをどうするか、なんて考えているのだろうか.
タイという国では「こんにちは」の挨拶に手を合わせるようです.日本ではこんなことはしませんが、ハタからとても良いことに見えます.
日本では年末はクリスマスで大騒ぎをし、大晦日にはお寺に行って鐘を108個突き、明けて正月には神社で初詣でをします.これを見てミャンマーから日本の年よりを助けに来るお嬢さんたちは混乱しませんかね.

ついでに、「人間、悪いことをしてはいけません.おテントウ様が見ているんだよ」というわが婆さんの言葉を思い出しました.

 

(工事中)

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