これでよいのか

最近、電車に乗れば皆イッセイにスマホアイホンをとり出しピコピコとやっている.歩きながらもやっている.この私でさえ異様に見えるが私の親の世代、明治の人が見たら何とも不思議な光景であろう.
私が「わが身1つ」を頼りに東京に出て来たころ、新宿の「小田急デパート」の屋上から西の方を見ると、遠くに「京王プラザホテル」が羊羹を寝かしたようにポツンと見えた.このころデパートの開店は朝10:00、閉店は夕方の6:00で、週に1度は休みだった.そしてふつうの家庭では夕食は家族がみんなで食べたはずだ.これはマンガの「サザエさん」の世界を思ってもらえばよかろう.
まあ、文化がちがうといえばそれまでだが、何だか忙し過ぎませんか.疲れませんかね.
私の経験によれば何かを見ながら他のことに想像をめぐらしたり考え事をすることはできない.ボーっとしているか、目をつぶるかしないと想像力は膨らまないような気がします.これを、「目と手が忙しいときはアタマがお留守」、あるいは「考え事をしているからクルマが歩道に飛び込んだ」などと言い換えるのはマズイかな.
教室で「セブンイレブンの名前の由来は?」と聞いてみたらキョトンとしていたっけ.
これは「朝の7時から夜の11時まで営業します」という、当時としては画期的なことだったのです.それが今や「24時間営業」が当たり前になってしまった.あちこちに自動販売機もあり、確かに便利ではある.しかし、人間は「夜に寝て昼間起きて働くもの」である.よほどうまくやらないとココロもカラダもヘンにならないか.
それと最近、女性の社会進出は目覚ましい.おそらく、場合によると女性の方が優秀である.これは認めてもよい.しかし、父親も母親も外で働いて、子どもたちはどうなる.おそらく、家族そろって夕飯を食べることなくありそうにない.
学校が終わってどこに行く.学童保育は行ける子もいけない子もいるらしい.
そこで夕方になると塾に行く.としても夜の食事はどうなる.いっそ夕飯を食べさせてくれる塾などがあると親は助かるのではないか.ついでに、先生も一緒に食事をしていろいろと語り合うのもよいではないか.
子どもたちはみんなの財産です.本来は国がやることだろうが、アテにならないから民間でそんな発想があってもよいと思うがいかがですかな.
何でも手に入る豊かな世の中なはずなのに何かが間違っているような気がしてならない.少なくとも「働くために生きている」のではありませんぞ

(工事中)

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